直方市が公式noteを始める理由
こんにちは。突然ですが直方市公式noteです。
直方市は、今年市制90周年を迎えました。
10年後にはなんと100周年!
100周年を迎える前に、直方市のことをもっと知ってもらいたいっ!
そのために何か新しい広報活動にチャレンジするぞ~っ!
・・・ってことでその第1弾としてこのnoteを始めることにしました。
noteの特性を活かし、堅苦しくなく、ふわ~っとした感じでいろんなことを発信していけたらいいなぁと思っておりますので、あま~く見守っていただけると幸いです。どうぞよろしくお願いします。
さて、まずは直方市の紹介から。
1 「のおがた」って読みます
難読市にも数えられる直方市。「なおかた」や「ちょくほう」、「のうがた」と読まれることもあります。「のうがた」ではなく、「のおがた」って読んでくださいね。
まずは直方を認知してもらい、名前をしっかりと覚えてもらうことが重要だと考えた私たちは、キャッチコピーを作成しました。
このキャッチコピーは、直方市の魅力発信に取り組む中で、市外の人たちにももっと直方市を知ってほしい、もっと知名度を上げたいという考えから生まれました。
2 こんな街です
1.市名の由来
直方の中心部は、かつて、鞍手郡倉久村(現 宮若市倉久)に所在する内山寺の末寺である東蓮寺があったことから東蓮寺村と呼ばれていました。元和9年(西暦1623年)、初代福岡黒田藩主の黒田長政が亡くなりました。その遺言で、四男高政に4万石を与え、この地に支藩を作ることになりました。藩主の館がこの東蓮寺村におかれたので、この藩は東蓮寺藩となりました。
延宝3年(西暦1675年)、東蓮寺藩は直方藩と改名しました。「東蓮寺」を改名するにあたり、儒学者貝原益軒の兄で、当時本藩である福岡藩から出向いていた貝原元端が「直方」と命名しました。これは、藩内の小村「直方(能方)村」(現直方市中泉)の読みを取り、中国の古典『易経』から縁起の良い「直方」の字を当てたといわれています。
また、命名にあたっては南北朝時代にこの地方が、勤皇方(きんのうがた)であったり、懐良親王(かねながしんのう)方、つまり王方(のうがた)であったことにちなみ、そう呼ばれていたとも伝えられています。
なんだか難しい話になりましたが、つまり、歴史ある土地なんです。
2.市の位置
直方市の地形は、、、ハートマークの形なんですよ。
九州最北部を占める福岡県の北部にあって、遠賀川に沿って開ける筑豊平野のほぼ中央に位置しているんです。市の東側は、福智山山系で、北九州市小倉南区と接し、西は、宮若市、鞍手郡鞍手町と、南は田川郡福智町、飯塚市、鞍手郡小竹町と、北は北九州市八幡西区、鞍手郡鞍手町に囲まれています。
本市の東部には福智山(900.8m)を主峰にその支脈(平均標高600m)が南北に走っています。 西部には六ヶ岳(339.0m)の丘陵が北西にひろがり、中央は、比較的平らな地域になっています。
この地域の中央を彦山川、犬鳴川をあつめた遠賀川が北流し、遠賀郡芦屋町で玄海灘にそそいています。
市街地は、この遠賀川とJR筑豊本線にはさまれた地帯にあり、東部、西部地域は住宅地帯、南部地域は工業地帯、北部地域は農村地帯を中心に形成されています。
3 noteでお伝えしたいこと
ホームページでは、イベント開催のお知らせや講座の参加者募集など、これから行われること(未来)をお知らせしています。期日が過ぎてしまうと、非表示にしているため、いろんな情報が蓄積されていなかったんです。
「こんなことやりました」というのを残していくことで、直方ってこんなまちなんだねって知ってもらえるように、ここに書き留めていこうと思います。
また、どうしてもホームページでは堅苦しい情報発信しかできません。その点、noteだったら載せられる情報もあると思ってます。
少しずつ、着実に、「直方」の今をお伝えしていきます。
4 その他情報発信ツール(公式SNS)について
Instagram(インスタグラム)・・・市内の自然やまちの風景、イベント情報など、市の魅力を感じてもらえるように写真を使ってお届けしています。
Youtube(ユーチューブ)・・・直方市に関する動画、市提供ラジオ番組等により直方市の魅力を発信しています。
twitter(ツイッター)・・・Instagram(インスタグラム)と連動
facebook(フェイスブック)・・・Instagram(インスタグラム)と連動
LINE(ライン)・・・平常時は「ごみの分別方法」や「近くの避難所」の検索ツールとして、災害時は避難情報を受信ツールとして、また、市役所から直ぐにお伝えしたい内容をプッシュ型で配信しています。